2004年10月04日
発想のタイプロジーⅢ
「シャーロックホームズが萌えキャラになってる!?」
――と訳の判らないコメントから始まって申し訳ないのですが、私はあまりライトノベルを読みません。指折り数えてみると、秋山瑞人(イリヤ空)、西尾維新(壊れた世界)、乙一(GOTH)くらいでしょうか。理由はあまりなく、単にタイトルに惹かれないから、といった程度です。そんなわたしがふらっとラノベの平積みコーナーを通ると、富士見ミステリー文庫なるレーベルがあるではないですか。
「ありゃ、西尾維新以降、ラノベとミステリの垣根って壊れているけれど、富士見でもこんなんでたんだなあ」
で、つらーっとイラストの拍子を眺めていると、桜庭一樹著「GOSICK」なる本が。ふーんと通りすがろうとして、がばっと視線を戻して、
「シャーロックホームズが萌えキャラになってる!?」
と叫びかかったのでした。
非常に個人的なことなのですが、私はドイルから活字にはいった性質でして、最初に読んだ小説はシャーロックホームズ全集でした。そして思春期を終えるまで生粋のシャーロッキアンだった過去があります。本気で将来ベーカー街に住みたいと考えていた高校二年の春はなかなかお馬鹿だったと振りかえって恥ずかしい。
そして「GOSICK」のイラストは、19世紀的な、まあいわゆるゴスロリ的衣装を着込んだ金髪の美少女で、それはいいんですが済ました顔してパイプなんぞを吹かしている訳です。このキャラが探偵役だろう。パイプ+19世紀+探偵=シャーロックホームズという個人的最大公約数がありまして、その所為でかなり驚いたわけです。パイプは白い陶製で、アップライトのものじゃなかったですが。鳥打帽も被ってませんし。
紳士と公言するホームズがロリ萌なキャラになる時代なのかと。
作品は別にホームズのオマージュであるわけではないので、勝手にそうコンセプトを感じてしまっただけの話なのですが、何故私はこう驚愕したのかというと、シャーロッキアンだった人間にとって、ホームズという先入観から萌キャラは決して生まれないからです。
ちょっと間が開いた第三弾ですが、つまり発想のポイントは先入観をどうひっくり返すか、という一転に集中すると考えています。当たり前というツッコミは勘弁してください。
Ⅰで取り上げたプラネテスですが、これは今までの和製近未来SFになかった発想=デブリでしたが、これも個人的にはガンダム的宇宙観への裏切りだった、と述べました。Ⅱで挙げたデモンベインは、イメージが離れ過ぎていてあり得ない組み合わせ、としてみました。クトルゥフがスーパーロボットに打ん殴られるのですから。どれも既製先入観の裏切り、と一言で表わせてしまいます。ポイントは、どの先入観をひっくり返すか、です。プラネテスがSFというジャンルに対して、デモンベインがジャンルをより俯瞰したところで裏を掻いてきました。
さて今回は別段「ヴィクトリカ(GOSICKの探偵)ハアハア」な話ではなくて(w)、先入観の裏切りとして、まず裏切る先入観を用意する、という話です。
「私を殺した責任、取ってもらうからね」
このコラムを読んでくれている方なら大半がご存知だろうこのセリフ、今は講談社発の新伝綺の旗手(といってもまだ一人しかいない気がする)・那須きのこ氏が世に出る契機となった大ヒット同人ゲーム『月姫』のキャッチフレーズです。きのこ氏が語る世界観は非常に独自のものがあると大人気です。PCゲームとして大ヒットした『Fate/stay night』は記憶に新しいと思います。
私は勿論Fateが好きですが、『月姫』を断然支持します。何故かと問われるならば、Fateは私が持っていたイメージをあまり覆してはくれなかったからです。既にきのこ氏の世界観に触れていたから、という原因もあるのでしょうが。月姫はその点、180度回転させられた気分でした。
吸血鬼、といえばブラムストーカーが形成したイメージが支配的だったと思います。現代でも人気の有るモチーフですが、扱う作品は大抵このイメージのままに設定を組んでいることが多いと管見では思っています。しかしきのこ氏の吸血鬼は違いました。何せメインヒロイン・アルクェイドはオリジナルヴァンパイアなくせに、昼間出歩くは白い服が似合うは脳天気で天然だは、というキャラで、それだけなら珍しくないのですが――その裏付けとなる設定が今までの吸血鬼とはまったく違う。真祖・死徒という区分とその対立などを始めとして、全く独自のもので形成されていました。吸血鬼というラベルが同じなだけで、中身はきのこ氏が再構成した殆ど別物の素材となっていました。チョコレートケーキと売ってある箱の中に、マーブルのアイスケーキが入っていたら、まあ普通詐欺です。しかし創作では寧ろ喜ばれます。
私はおそらく、吸血鬼という名前を聞いて『ブラムストーカー原産イメージ』を自然に思い浮べ、それに『那須きのこ原産イメージ』をぶつけられて、見事に足元を掬われたのです。両者の差異に興味を惹かれて読み進め、全貌が明らかになった時パッケージが同じだけの別物だと示されて、更に後者が魅力溢れる創作であった為に、魅了されました。最初に既存の先入観を植え付けられて、次に引っこ抜かれてしまったわけです。
既存のモノを独自に再構成する。これも先入観を裏切る発想のカタチなのかもしれません。やはりこれも既存と距離があればあるほど衝撃度が見込まれます。しかしこれは今までのものよりも、対決姿勢が強いと言わざるを得ないと思います。むしろ真っ向勝負。今まで主流だったものをただの導入として、自分のオリジナル世界に誘い込む。そして主流を裏切る。かなりの抵抗が見込まれます。それを大ヒットに変えた手腕は素晴らしいと誰もが言わざるを得ないのではないでしょうか。
吸血鬼イメージの転換よりも個人的に評価する『直死の魔眼』のアイデアは、さらに吸血鬼のイメージ・不老不死を一言の元に否定する、目から鱗がぼろぼろ落ちるものでした。だって、上位吸血鬼があっさり直死の魔眼でバラバラ死体にされるんですから唖然とさせられます。あれだけの設定を組んだ吸血鬼だけをメインに添えるのではなく、更に作中でそれをひっくり返すアイデアを盛り込むのは白眉です。月姫の表ルートと呼ばれるものは、この直死の魔眼と吸血鬼、絶対的な死と不老・不死の螺旋的な対立構造になっているのです。
吸血鬼のイメージ・不老不死(ブラム的吸血鬼⇒那須きのこ的吸血鬼)
⇒ 直死の魔眼・全ての存在は死に至る
というイメージ破壊の三段構成に私は『月姫』が傑作だったと脱帽するわけです。Fateはその点、最初から独自の設定をもってそれをインフレさせていくものだったと感じています。
三回も使って拙い考えを述べてきましたが、結論として「先入観をひっくり返せ」「対象となる先入観をどこに絞るか」「ひっくり返し方のタイプは(再構成や空白地帯)」の三点に纏められるのではないかな、と考えています。『斬新な』、『独自色溢れる』と好評を博した作品は銘打たれますが、それは独立したものではないのでしょう。あくまで既存との相対的な距離によっているのではないでしょうか。
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